史読む月日
歴史についてのブログをまとめようと思って過去ログを見てみたら、私が歴史について「こう思っている」という記事は見つからなかった。つまり、私はここで、歴史についてあまり書いてこなかったということになる。
そうかもしれない。
私は高3で歴史を学ぶこと志してから40年以上、歴史を学び、歴史を押してる仕事に携わってきた。自分の中で重いものについて、人はあまり書こうとはしないものだろう。
それにしても歴史とは何か。そのことについて、私は明確な答えを持っているわけではない、と思った。
日本にとって、西洋史とは、ヨーロッパやアメリカの文明を取り入れるときに参考にするべきものだった。そして東洋史とは、それ以前に手本にしていた中国の文明を取り入れるときに参考にしていたもの。日本史は、日本という国及び日本人の、アイデンティティのためのものだ、と私は考えている。
そう考えてみると、一つの答えが出るかもしれない。
歴史とは、それを鏡として、そこから何かを――教訓とか参考事項とかを――読み取り、引き出すためのものだと。
われわれがなぜ我々であり、われわれはなぜ我々でないものではなかったか。われわれが、なりうる可能性はどこか別にもあったのか。
しかし今では、そうしたことよりも、その歴史の細部そのものを描き出すこと、ほじくり返すことに重きが置かれている。あるいは、歴史の暗部を掘り返したり、われわれのアイデンティティそのものを掘り返し、台無しにしてしまうことに重きを置いたりしている。
今、歴史はどこに行くべきだろうか。歴史学を離れた私が、いまそんな難しいことを考えるべきかどうかは分からない。先ずはその問いは置いて、歴史と歴史に関わること、今の社会に関わることを考えていこうと思う。
史(ふみ)読む月日、重ねつつ。