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史読む月日―ふみよむつきひ―

歴史のこと、歴史に関わる現代のことなど。

細川氏立候補を巡る池上彰氏の反論とメディア・リテラシーのむずかしさ

今日ネットを見ていて少し反省したことがあったので書いておこうと思う。

この「細川元首相に立候補促す」 池上彰氏「心外」と反論という記事を読んで、自分のメディアリテラシーの甘さを感じさせられた、ということだ。

池上彰さんと言えば、『こどもニュース』で大人にも分かりやすい明快なニュース解説をしていたことで知られるようになったが、その後総選挙の時にテレビ東京の開票速報で候補者たちにびしばし厳しい質問を浴びせるとともに、その背景の説明も妥協のない正確さで他局の開票速報を圧倒したことでも一部で(つまりネットで)評判になった。

それは池上さんが本来の意味でのジャーナリズムのあり方を真剣に考えていて、小気味良いくらいのジャーナリズム精神、実際日本ではあまり他に例が見当たらないくらいの原則的な姿勢で取材対象に対しているからだと私は判断していた。

だから本来、産経新聞細川氏からの出馬打診に池上彰氏が逆提案「細川さんが出た方が…」という記事を見たときに、「池上氏は逆に「細川氏が出た方がよい」などと立候補を促した」という部分について、もっと「本当かなあ」と疑うべきだったのだ。

しかしこの記事を読んで、実際違和感はあったものの、そういうこともあるのかなあと思ってしまったのだ。

しかしそれをスルーしてしまったのは、戦前以来記者が政治家の子飼いやブレーンになるケースが多かったこと、また読売新聞渡辺恒雄ナベツネ)氏のように政治的な動きをする記者が多いという先入観があったからだ。私から見た池上さんはそんな不用意なことはしなさそうな人なのに、そういう「政治記者」に対する先入観によって、自分の見方を歪めてしまっていたということは、やはり大いに反省すべきことだと思う。

メディア・リテラシーというのは難しい。最初からただ疑うだけでよければ、誰も信じなければよさそうだけど、それではこの記事のようにそういう先入観によって騙されてしまうことがある。疑い深いからこそ騙される、ということも世の中にはあるのだ。

だから、本当の意味でのメディア・リテラシーというのはむしろ、何を信じるかということにあるのだろうと思う。この人は信じられる、と思った自分のカン、見方のようなものを信じるということが、こうした記事の上では重要なのだろう。

誰もみなどうなる可能性もある、というような相対主義では、逆に何も確信をもつことはできない。

そういうことを、この記事を読んで考えさせられたのだった。