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史読む月日―ふみよむつきひ―

歴史のこと、歴史に関わる現代のことなど。

「自分の意見を持つためには」(その2):「自分が大事にしたいこと」を考えるために

これは「そんなこと言われなくても分かってるよ」という人もいると思うのだけど、私の場合はそれを考えるのに30年くらいかかった感がある。自分の生理的な部分との折り合いということもあるし、実現性とか現実との折り合いということもある。私の場合は、「私の近くにある私のものでない思想」を「どうやって自分の中から排除していくか」ということが一番の難題だった。

排除して排除して、残ったものが、本当に自分の考えかどうか、というのを聞いてみる。すると、裸で震えているそのかわいそうな思想が、確かに自分の心に直結しているということを感じる。誰もそれを保証してくれる人はいない。自分の心だけしか肯定してくれる人はいない。そういう段階から、自分の考えを肯定していかなければならない。

実際には、本当にオリジナルな思想というのは、そんなには多様ではない。だから、こんなの誰も認めてくれないだろうな、と思うような思想でも、案外それを肯定してくれる人はいる。また、ああ、私と同じことを考えてる人がほかにもいるんだ、と思うことはあるので、それで自信を持ったりするわけだ。

根本的に、自分の思想、と言うと大げさになるな、意見を持つのに大事なのは、私は「感覚」だと思う。

原初的な、生命体としての好き嫌い。生命が自己保存できないようなことが求められる意見に対して警戒感を持つことができないようでは、生命体として危ない。また、自己保存よりも種の保存と言うか、自分は犠牲になっても子供や人類そのものは保存される、という次元での感覚というのもあるだろう。守る、という感覚、育てる、という感覚。

それから、好き嫌いというのも一つの前提になるだろう。好きなものは大事にしたいのは、誰だってそうだろう。私の若い頃は周りの人たちは天皇制に反対する人ばかりだったが、私自身は天皇とか皇室という存在が好きだったのでその辺は面倒くさくない程度に適当につきあっていた。今思うと敬意、という点では不十分だったと思うけど、やはり好きだから大事にした、と言うことは言える。

難しいのは、自分が興味を持てない事柄に対して意見を問われたときだ。それは結局、実情についてなるべく客観的な情報を集め、また人の意見を聞いて、その中で打倒と思う方向性を探ることになるけれども、案外そういうことをやっているうちにやっぱりこれだよな、という自分なりの意見が出てくることがよくある。ただそれは、興味関心を持てる事柄に対する自分の行けんがそれなりにはっきりしているからできることだと思う。だからまずは、自分の興味関心の持てる事柄から考えてみるべきだろう。

日本人にとって難しいのは、周りの意見に流されない、ということだ。日本はいわゆる「同調圧力」の高い社会だ。私はそういうことを求められるのが嫌だったから、仕事をしていたときも労働組合にはいらなかったし、意見が違うときは基本的には意見が違うと表明するようにしていた。しかし、そういうと自分の意見ではなく自分の人格が否定されたように感じる人もある。それは、意見と人格が別モノだと言う客観性に欠けている人にありがちなことで、またそういう人はモノの見方が勝ち負けでできていることが多いので、反対されたら侮辱されたと受け止めることになりかねない。そこは上手く自分の発言をコントロールする必要はあるけれども、そういう人は基本的にそんなに悪い人でなかったりすることもあるので、(変に屈折していなければ、の話だが)自分はあなたを言い負かそうとしていっているのではない、ということをはっきりさせながら話せば分かってくれることもあるだろう。

自分の意見を大事にするというのは大事なことだが、しかし、それにこだわりすぎるのも必ずしもいいことではない。意見の違う人と話していて、その人の言うことに説得力を感じたら、そこで立ち止まってみるのも大事だ。そこでよく考えてみることによって、自分の意見の幅を広げられる場合もある。完全に相手の言うことが正しいと思わなくても、一理あると感じるならば、そこに何か自分がまだ考えていない論点がある可能性はあるわけだから、それこそ勝ち負けではなく、自分の意見を成長させることを優先した方がいい。

そして思うのは、「意見を変えることを恐れない」ということだと思う。日本では、「一度口に出したら変えられない」という傾向が強いけれども、原発推進の立場だった小泉元首相が東日本大震災をきっかけに「原発即ゼロ」と唱えるようになった英断を、私はすごいなと思う。故事成語で「君子豹変す」とはまさにそのことで、これも論語だが「過ちては即ち改むるにはばかることなかれ」なのだ。人間は神様ではないから、すべてのことは知り得ないし、状況が大きく変わればそれまで正しいと思われていた意見もそうでなくなることはある。また、自分の学習や人生経験が深まるにつれて、より総合的に見た結果、今までの意見を改めるということは当然あることだ。意見はあくまでも、「その時点での、自分にとってのベスト」なのだから。


(その3)に続きます。