アレクサンドロスはいつから「大王」か?
『歴史と地理』(山川出版社)第644号(2011年5月号)の山中由里子「アレクサンドロスは『大王』か?」を読んだ。
明治以来、日本ではマケドニアの王にしてギリシャからオリエント世界を征服したアレクサンドロス3世を「アレクサンダー大王」と呼ぶことが定着している。ギリシャ語読みをすればアレクサンドロス大王である。
これは欧米からの情報に基づくもの(英語のAlexander the Greatなど)だと考えられるが、中国では清以降たとえば「歴山王」と呼ばれていたと言い、江戸後期の大槻磐渓の漢詩にも出て来るのだという。
この『大王』の呼称はどこまでさかのぼるのか、あるいはアレクサンドロス自身が「大王」と称していたのか、というのがこの論考の中心になるわけだが、結論から言うと本人が「大王」と称していた確たる証拠はないのだという。
当時「大王」という呼称自体が存在しなかったわけではなく、アケメネス朝ペルシャでは「偉大なる王」という呼称をキュロス2世が自称しており、それをギリシャ語訳したmegas basileusという呼び名は、「東方専制君主」という意味合いで、むしろマイナスの語感で用いられていたのだという。
であるから、アレクサンドロスを「大王」と称するのはアレクサンドロスのペルシャ化を批判したイソクラテスらから始まっているという説もあるのだと言うが、それも確証はないようだ。
ヘレニズム世界の君主が大王を自称するようになったのはセレウコス朝シリアのアンティオコス3世(241B.C.-187B.C.)以来だという。また現存する文献で最初に「アレクサンドロス大王」の言葉が出て来るのもその同時代なのだそうだ。
よって紀元前2世紀初頭ごろがその起源だと考えられているのだそうだ。アレクサンドロス死後150年弱経過してから、ということになるのだろう。
またそれに関連し、ササン朝ペルシャではアレクサンドロスは悪魔の化身のように憎しみをこめた形容詞付きで呼ばれていたというのは初めて知ったし、一方イスラム世界ではコーランに登場する「二本角」と同一視されて、世界の果てまで突き進む布教者・野蛮な民族の侵攻を防ぐ守護者として語られているということも初めて知った。
「大王」という呼称がアイロニカルに受け取られている例もあるというのは面白いなあと思ったが、「大」という部分がその権力の強さだけでなく専制性をも象徴するというのはなるほどと思ったのだった。