史読む月日―ふみよむつきひ―

歴史のこと、歴史に関わる現代のことなど。

水野和夫『人はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか』(1)世界史的転換を描こうとしていることと、デフレ下での経済成長という「近代の常識」の破れの指摘

人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか

 

水野和夫『人はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか』を読んでいる。まだ読みかけだが、なかなか全体像が描きにくい。

 

この本は、一口で言えば、1995年以降、日本を含む世界は大きな転換期、近代の常識が、主に経済面でだが、経済面だけでなく、通用しない時代に入っている、ということを言っている。

 

この本は、経済面からのアプローチが中心なのだけど、歴史学的な知見が立論の補強に使われているため、むしろ歴史をやった者のスタンスから見ると解釈的にいかがなものかという気もする、というかああそういうふうに見たりするんだなというところがあったりする。「帝国」という用語も、どこまでが比喩として使われていて、どこまでが実態的な定義に基づいて使われているのか、今いちよくわからない。まあ、畑違いの分野の仕事というのは分かりにくいものだが、この本の特徴の一つは、そういう世界史的な転換というものを経済の側面から説明しようという野心にあると言っていいのかもしれない。

 

印象に残ったことはいくつかあるが、近代は国民国家=主権国家の時代だったが、今後は「帝国」の時代になるという。帝国というのは、金融帝国として成熟しつつあるアメリカと、17世紀当時の旧帝国の衣鉢を継いだ中国、ロシア、インド、可能性としてのトルコ、をさしている。(いわゆるBRICs諸国ではブラジルが入っていないが、ブラジルも普通の国民国家とは違う非均一的な特徴を持った国だから、いずれ入って来るのかもしれない。)

 

経済学というのは基本的に政策科学なので、何でも言ったもの勝ちのようなところがあって、歴史学のように一つ一つを厳密に積み上げていってはいないから、ある意味あんまり本気にとっても仕方ないかな、という感じのところもある。

 

ただ、一つの知見として面白いなと思ったところをいくつか取り上げて行ってみたい。


【デフレでも経済は成長した】

「デフレは問題である」という主張に対し、その「デフレの何が問題なのか」というところにいちいち反論しているところがへえっと思う。

 

2002年の経済財政諮問会議で指摘されたのは、1.実質金利が上昇し、その結果2.実質債務負担が高まる。3.賃金の調整が難しく、生産減少・雇用削減をもたらす。

 

デフレ期待により消費・投資の先送りが起こり、賃金や労働力が成長部門に円滑に移動せず、産業構造調整が遅れる。

 

資産価格が下落し、さらにデフレを悪化させる、という諸点だった。

 

実際には実質長期金利は低下していて、ということは債務負担は増えていない。賃金は、結局「非正規化」によって事実上の賃金調整が行われている。その結果、常用雇用も極端には低下していない。よって、結果的にデフレ下で経済成長が実現している。

 

で、結局経済成長が実現しても、産業構造調整は立ち遅れたままであり、逆に言えば、「改革なくして成長なし」ではなく、「成長しても改革は進まず」になっている、というわけだ。

 

つまり、著者の主張は、「デフレ脱却」を目指す政策、特に現在の「アベノミクス」は誤った政策であるということで、インフレ=経済成長は起こらず、バブルを引き起こすだけに終わる、ということになるようだ。

 

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経済の本は何でもそうなのだけど、私には専門的な知識が不足しているので分かりにくいことが多い。そういう立場から理解しながら、何回かに分けて、自分の理解したところ、へえっと思ったところを指摘していきたいと思う。