ブラジルについて考えることは、国民国家イデオロギーの有効性について考えることでもある
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『歴史と地理』(山川出版社)の『地理の研究』189号を読む。
『ブラジル』を特集していて、最初の論文・丸山浩明『ブラジルの人種・民族と社会』が、ブラジル社会の歴史的・人種的形成について詳細に述べていて、勉強になった。
ラテンアメリカ社会というのは大変分かりにくいところがあるのだけど、その理由の一つは、ヨーロッパとの関わり合いかた、距離の取り方なのだということがよくわかった。
もともとポルトガルの植民地として発達したブラジルは、つまりはポルトガルの植民者と先住民族のインディオと、労働力として輸入された黒人によって成り立つ社会だった。社会の基幹となるモデルはプランテーションでの家父長制家族であって、つまり白人奴隷主と黒人奴隷たちの『温情的主従関係』が社会関係の基礎になり、その中で混血児が多く生み出され、一族の政治力を支える存在になって行ったのだと言う。
黒人奴隷の出身地も様々で、リオデジャネイロに来たのは南東アフリカ出身(モザンビークとかだろうか)が多く、ペルナンブコに上陸したのはガーナ出身が多いなど、貿易港によって違っていたようだ。
ブラジルが他のラテンアメリカの国と違う特殊性は、唯一ポルトガル植民地だったこともあるが、ナポレオン戦争で亡命したポルトガル王室自身が植民地ブラジルに亡命し、『ブラジル帝国』を成立させたと言うことが大きいようだ。
亡命した王室や貴族たちはフランスの文物を求め、マゾンビズモと呼ばれる劣等感に苛まれるようになったと言う。また1850年に奴隷貿易が禁止されヨーロッパから大量の移民がわたってきた。最大の移民集団はイタリアで、ポルトガル・スペインからの移民とともに南欧移民が中心を占めたのだそうだ。イタリア移民という点ではアルゼンチンなどとも共通している。
ブラジル=劣等社会というイデオロギーから、『白人化=脱アフリカ化』が叫ばれ、大量のヨーロッパ移民とともに、混血がさらに進んだのだと言う。
1920年代になるとナショナリズムが勃興し、独裁政権下で多様な人種・民族のブラジル社会への同化が強制され、多様な人種がともに繁栄する「人種民主主義」と呼ばれるイデオロギーが推進された。独裁政権下で1980年代までそのイデオロギーが推進されたが、徐々にそれが様々な社会の不公正を隠蔽するイデオロギーとして働いていることが明らかになったが、それを問題視する言説は独裁政権により排除・弾圧されていた。
民政移管後はマルチカルチャリズムが宣言されたが、人種民主主義下で醸成された『ブラジル人意識』と多様な民族文化の承認と言う二つの矛盾する方向性から、あらたな国づくりができるかが注目されている、ということのようだ。
ブラジルで混血が多いのは、人種民主主義のイデオロギー下で混血=メスティーソこそがすばらしい、というイデオロギーが推進されたこともあるのだと言う。しかし実際には白人と黒人の間の貧富の格差は大きかったわけで、理念と実態の乖離と、その一方での混血の進展と言う、ラテンアメリカ社会に独特な事情があって、この辺りにアメリカ合衆国との大きな違いがあるのだと言うことは再確認できた。
ただ、ブラジル人意識と同じようなアメリカ人意識というものはアメリカにもあるわけで、それがある意味問題を隠蔽しているという構図はアメリカにも共通しているのだなあと思った。
考えてみると、それは中国でもそうだし、また日本でもある意味そうだろう。世界中の国民国家が成り立つためには国民意識を必要とするわけだけど、それがそれぞれの文化集団の違い(あるいは格差)を見えにくくするという面は必ずあるわけだ。
「みんな同じ=平等」という面と、「みんな違う=多様」の両立が難しいのは、日本では同調圧力の問題だったりするが、ブラジルなどの国では遠心力の問題だったりするのだろう。
国民国家がこれからも人類社会のスタンダードであり続けるのか、あるいはあり続けるべきなのか、難しい面はあるが、ブラジルについて考えることは日本と全く違う社会で人が生きることの意味を考えることになるので、大変良い思考材料であると思った。