史読む月日―ふみよむつきひ―

歴史のこと、歴史に関わる現代のことなど。

「歴史的なものの見方」の使い方

自分の中でここ最近、一番再発見して驚いたのが「歴史」に関わってきた時間の長さだったのだけど、そのことが自分という人間の形成に強い影響を与えているだけでなく、結果それを仕事にしてきた期間が十数年あるわけで、ある意味もろにそれで飯を食ってきたともいえる。先端の歴史研究者にはなら(れ)なかったけれども、自分なりに「歴史を学び、それに関わってきたこと」を使って生きてきた、生きてこられたということはそういう意味でそれを「武器にできる」ということでもある。その武器の使い方は今までと同じような使い方をするつもりはないけれども、使えるということが大事なのだ。

 

自分は歴史学者にはならなかったので、実証主義的な歴史学に関しては方法論的にも根性論的にももはや取り組む余裕はないのだけど、「歴史的なものの見方」に関しては身についているなと思う。ここで言う「歴史的なものの見方」というのは、ある出来事に対して、それが起こった背景、直接的な原因、事件がどういう経過をたどったか、どういう結果になり、それがどういう事件や社会の変化につながったか、つまりどういう影響を残したか、ということを知ることが大事だ、ということだ。

 

 

たとえば「マラーの死」という絵画を見て単なる風呂場での殺人事件だと思えばそれで終わりだが、モンターニュ派の強力な指導者のひとりであったマラーが敵対するジロンド派の人々に対する密告を悪化する皮膚病の治療のための薬湯につかりながら聞き取っているところを密告者を名乗ったジロンド派シンパの女性シャルロット・コルデーに暗殺されたのだ、ということを知ればその位置づけは全然違う。

 

またたとえば、ジロンド派ロベスピエールモンターニュ派によって国民公会から追放され各地に散って、それを支持する南仏の諸都市がパリの民衆とモンターニュ派の支配する国民公会に対して反旗を翻したのが「連邦主義者の反乱」であり、アメリカと違って連邦主義者が反革命というレッテルを張られているのはそのためで、「フランス共和国は一にして不可分」という標語がどんなに重要視されているかはそれを知らないとわからない。ロベスピエールはその反乱を鎮圧し、各都市に国民公会から議員を派遣して監視させた。フランスがきわめて中央集権型の国家になったのはそれ以来のことだ。

 

おそらくはこれがヒントになって、ソ連ではロシア革命以来軍隊などに必ず党中央から政治委員が張り付けられる。また、中国が諸民族の連邦国家ではなく時代錯誤な国民国家型の体制を目指すのも、愚直にフランスの体制を真似していることを感じさせる。これらのことは大きく言えばフランス革命時のこれらの事実の影響を受けていると言っていいと思う。

 

つまり、私が考えている歴史的なものの見方というのは、ある事実がほかの事実との間に関係の線があるのかないのかということを常に考えながらものを見ているということで、こういうことを考えるようになったのは大学に入ってからではなく、むしろ受験の時に世界史の様々な事項を関係づける癖をつけたのと論述問題を書くために話を組み立てる技術の一つとしてそのように論理を組み立てていく技術と芋づる式に関連事項が出てくるような記憶の整理法を身につけたことが大きいと思う。それは今でも文章を書く際には無意識のうちに使っていることで、そういう意味では受験の時に身につけたことは今でもずいぶん役に立っている。

 

まあ世の中の理解はそればっかりではだめなわけで、文学作品とかあんまりそういうことを考えていると描かれている内容そのものが楽しめないし読み込めない。そのあたりは国語の先生(同僚という意味ね)にさんざん批判された覚えがある。まあ、歴史というお仕事から離れてから、意識的にそういう思考法を手放していたのだが、手放したからこそ逆にそういうものの使い方みたいなものがより見えてきたように思う。そういうものの見方に縛られていてもつまらないが、うまく使えばそれなりに使える、武器にできるものだという認識をようやく持てるようになった。