史読む月日―ふみよむつきひ―

歴史のこと、歴史に関わる現代のことなど。

ジブリの広報誌で山田長政を振り返る

 

スタジオジブリの広報誌「熱風』2月号が届いた。

 

この広報誌は丸善三省堂など主要書店においてあって無料で受け取ることができるのだが、定期購読もすることができ、私は年間2000円の購読料を払って定期購読している。スタジオジブリ関係の情報がいち早く取り上げられることがあるほか、興味深い対談・特集が組まれ、また魅力的な書き手が原稿を寄せているからだ。

 

今回の特集は「タイ王国』。この「熱風』の特集は思いもかけないことが特集されることが時々あるのだけど、今回もかなり意外だった。おそらくは報道で伝えられるタイのタクシン派と反タクシン派の対立による混乱で、プロデューサーの鈴木さんが興味を持ったため、ではないかと思う。

 

その中の文章の一本として、小和田哲男「山田長政の実像』というものがあったので、取り上げてみたい。

 

山田長政という人物は、安土桃山時代に生まれ、江戸時代の初期に日本との朱印船貿易が盛んだったタイに渡り、日本人町の頭取、アユタヤ朝シャム王国の日本人傭兵隊長として活躍し、王国の高官となって、南部の小王国の王にまでなりながら、政敵に毒殺されたという人物である。

 

山田長政は、戦前は日本政府が大東亜共栄圏(大東亜とは、日本・満州支那を主に指した「東亜』=東アジアに、東南アジアを加えた概念で、大東亜共栄圏とは日本を中心にして欧米植民地主義からのアジア民族の独立自存を呼号した概念である)を呼号したことからその先駆者として大々的に取り上げられて喧伝されていたが、戦後はその反動でほとんど取り上げられなくなった、という人物である。著者の小和田氏は、むしろ国際交流や貿易振興の先駆者として見直すべき存在ではないかとこの文章で提唱している。

 

山田長政は私も子供の頃、様々に取り上げられているのを読んだことがあるが、いつ頃のことかはもうはっきりしないけれども、彼の実在を疑うような文章を読んだことがあって、そういういわば対外進出幻想の中の人物なのかと思っていたところがあった。もちろん、桃山時代から江戸時代はじめにかけて多くの日本人が東南アジアと貿易に従事しに出かけたことは知られているし、また関ヶ原大坂の陣で破れた浪人たちや、国外追放の憂き目を見たキリシタンたちが多く海を渡ったことも事実だ。だから山田長政という人物そのものは存在しなくても、それににたような人はいたかもしれない、という程度に考えていた。

 

しかしこの文章では、小和田氏はいっさいその実在を疑っておらず、また確かに史料的に素性の確かなものの中に多く言及されていることが書かれていて、確かに実在した人物だったのだなあと改めて認識した次第である。

 

この文章によると、長政は静岡市、当時の駿府の出身で、沼津の藩主・大久保忠佐の六尺=駕篭かきをしていたことがあるのだと言う。駕篭かきを六尺(つまり身長180センチということだろう)という言い方そのものも初めて知ったが、長政本人も相当大男だったようだ。また駿府は当時大御所徳川家康が住み、積極的に朱印船貿易を行っていたため、外国人も多く訪れていて、海外に渡航することも決して特別なことではないという雰囲気があったようだ。

 

長政はアユタヤに渡り、1620年にここの日本人町の頭領になったのだと言う。この職は貿易に従事する商人たちを取り仕切り、長政自身も当時貿易の中心だった平戸に多くの船を送っているのがオランダ商館長の記録に残っているのだと言う。またこの職は浪人たち日本人武士たち傭兵隊を統率する職でもあり、当時マカオを奪取して勢いに乗るスペイン艦隊がアユタヤに攻め込んだ際、一計を案じて火を放ち、スペイン艦隊を撃退したのだそうだ。ただの駕篭かきではできないことで、相当な軍略があったことが史料にも現れていると言う。

 

これがシャム国王ソングタムの目に留まり、王国内で地位を得、順調に出世していくとともに、日本にも使いを送ったことが家康・秀忠の政治・外交顧問だった金地院崇伝の『異国日記』にも現れているのだと言う。彼は王国の大臣クラスまで出世したため、外交では対等の者に文書を送ると言う慣例があることから、老中(職制として正式に成立するのは家光の時代だが、実質的な老中であった)土井利勝に対し文書を送っているのだそうだ。1621年のことだ。

 

ソングタム王の死とともに長政は煙たがられ、僻遠の地の王に任ぜられて中央権力から遠ざけられるとともに、謀略を持って傷に張る膏薬に毒が塗られていたため、1630年に41歳で亡くなったのだそうだ。

 

ストーリーそのものは聞いた話ではあるけれども、上に述べたようなしっかりした史料にそういう内容のものがあるという裏付けがきちんとあるということを読んだのは今回が初めてだったので、大変面白いと思った。

 

古くから海外で活躍する日本人がいたということは、やはり従来の日本人感を打ち破るものであるし、それが軍事的海外進出に利用されたということは残念であったかもしれないが、また新しい文脈で読み直すことでその評価を更新していくことはできると思う。もっと知られていくとよいなと思うとともに、基礎的な研究も進展していくことを期待したいと思う。

 

小和田氏の長政に関する著作があったのでおしまいに紹介したい。

 

史伝 山田長政 (学研M文庫)