読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

史読む月日―ふみよむつきひ―

歴史のこと、歴史に関わる現代のことなど。

自分の意見を持つ大変さと、しっかりした意見を持つ人が増えることで問題解決に近づけるということ

世の中では、いろいろなことが起こっている。

 

不都合なこともあれば、誰かから見ればよくないと思うことでも、他の人から見れば当然だと感じられることもある。

 

ぱっとその様子を見ただけでは分からなくても、よく調べてみるとすごくその由来と現状に納得できるときもあれば、ぱっと見ただけでは問題があるようには見えないのだけど、なんだか感覚的に変だなと違和感を感じたら、とんでもない実態が隠されていた、という場合もある。

 

人は、毎日の生活の中で、世の中のすべてに関心を持つことはできない。これはよくない、と思うことでも、本当にはそれに関心を持てなくて、心苦しいとは思いながら誰かに任せるしかないかなと思うときもよくある。

 

余りにそれが辛いから、見えているのに無視してしまうこともある。

 

そして、そういうことを見ないようにしているうちに本当に見えなくなって、世の中に問題なんかあるんだろうかと思うようになってきたりもする。

 

多分、そういう状態も人間には必要なんだろう。

 

そのなかで、自分のやりたいことをやり、自分の伸ばすべき能力を伸ばすことに取り組んで、前に比べるとできることがすごく増えている状態になっていることに気がついたりする。

 

でも、それがいつまでも続くわけではない。やはり、自分の感性を一部閉じてしまっていると、何か人間には自分に足りない部分があるように思えてくるのだ。

 

本当に自分の好きなことややりたいことも見えなくなって、何のために生きているのかわからなくなってしまう状態に陥ってしまったりもするのだ。

 

そうなると、先ずやるべきなのは、感性を開いた状態にすることだ。

 

でもそうなると、良いことばかりでなく、よくないことも見えてくる。

 

でも、おそらくは閉じてしまったころに比べて、少しは人間的な力がついている、伸びているはずだから、できることも増えている。直接行動することはできなくても、そこにある問題に対して、どう考え、どうするべきか、という意見を持つことは、少なくともできるようになっているかもしれない。

 

特に、大きな目標を持つと、それに関連することがたくさん出てくる。今まで見ないようにしていたものと付き合っていかないと前に進めない状況も出てくるかもしれない。大きな目標を実現するためには、自分のすべての力を動員しなければならないし、そうするためには自分の感性を開いてたくさんの情報を取り入れて行かなければならないからだ。

 

特にこのように、ブログで歴史を通して過去のこと、現在のことについて観察したこと、考えたこと、どうしたらいいかという意見を書くということをわざわざやっていると、不勉強なことについても、また保留にしてあまり調べたくない、意見を言うという形でもあまり関わりたくないようなことについてでも、調べたり考えたりしなければならないということも出てくる。

 

簡単なように見えるが、「意見を持つ」ということはこのように、結構大変なことなのだ。

 

ある団体の活動について賛同や意見を求められたとき、その活動の情報そのものに対して意見を持ったり、賛意を表すなどの行動をとるかどうかということになると、自分の感受性がその問題についてどう思うかということだけでなく、その団体の素性や戦略まで見極めたうえで、自分のスタンスを考えなければいけない。

 

まあ普通はそんなことやってられないから適当にしておくわけだけど、敢えてこういうブログを書くということは、かなりたくさんのことについて意見を述べる必然を自分で感じるようになっていくということでもあるわけだ。

 

しかし、ある意見、特に複雑な問題、裏を確かめなければいけない問題などになってくると、そう簡単には意見を述べられないということも多い。

 

そして、毎日ブログを書くということは、取り合えず今日の記事として書ける内容を書く、ということになっていくために、複雑な問題には取り組みにくい、という状況も生まれてくるわけだ。

 

生きているということ、活動するということは、そういう意味でもなかなか一筋縄に行くことではないわけなのだけど、ここで考えておかなければならないのは、そういう物理的な縛りというものが自分の考え方や行動にも影響を与えるということで、物理的な縛りには何か次元の違う解決法を持ってくるしかないということもあるわけだ。

 

世の中で起こっている不都合なことを、なんとかするための力になりたい。あるいは、世の中がこうなっていくといいというビジョンについて語りたい。そのことについて、一瞬で何でも意見を持つということは不可能なのだ。

 

解決策は、まったく思いもかけないところにあることもある。

 

ある問題について意見を持つためには、そのことについて考え、調べ、人の意見を聞き、何が本当の問題なのかを考え、そしてそれを解決するためにはどんなことが考えられるのかを考え、その中で実現できそうなことは何なのかを考えていくことが必要だ。

 

問題解決も、知らない間に進んでいることもある。調べなければいけないこと、知らなければいけないことを知ったうえで考えなければいけないことも多い。

 

自分の意見を持つことはそんなに簡単なことではないが、その意見を持つことで自分が自由な感じになる感覚を獲得できることもよくある。

 

面倒くさいことではあるが、しっかりした意見を持つ人が増えることで、その問題が解決に向かうこともよくある。

 

このブログでも、そういうことを考えるためにプラスになる、一歩前進する力に貢献できるような内容を、書いていければいいと思っている。