史読む月日―ふみよむつきひ―

歴史のこと、歴史に関わる現代のことなど。

本郷和子『蕩尽する中世』:荘園整理令による国司の権限強化と「院政バブル」の時代

蕩尽する中世 (新潮選書)

本郷和子『蕩尽する中世』(新潮選書)を読んだ。

 

ジョルジュ・バタイユのいう『蕩尽』というキーワードで日本中世を読み解こうという試み。そういうことはあまり考えたことがなかったが、確かに言われてみれば中世は昔話的には豊穣のイメージが結構ある。

 

最初に『梁塵秘抄』の今様が引用されている。「黄金の中山に 鶴と亀とは物語り 仙人童の密かに立ち聞けば 殿は受領に成り給ふ」。私の好きな歌だった。受領階級が平安時代、中級貴族の蓄財の手段だったことはよく知られているけれども、9世紀以降の「国司」が「徴税請負人」化して、中央に対して一定額の租税を請け負い、その責任で任国支配を行って、その余剰を自らの富とした、という構造は理解していなかった。

 

徴税請負人というと西洋史出身の私はアンシャンレジーム下のフランスの18世紀の、ラボワジェみたいな人やその制度のことを考えてしまうが、もちろん除目によって任命される国司は徴税見込み額の入札で決めるフランスの制度とは違う。しかし受領の強欲がなぜ可能なのかよくわかってなかったので、この辺は勉強になった。

 

特に院政期に受領の任命が院によって独占され、知行国化が進められたことは知っていたが、後三条天皇以降の荘園整理は考えてみたら国衙領の強化ということであって、荘園領主よりも受領の方が優位に立つ改革であり、その任命権を持つ院の権力を高める改革であったということが初めて理解できた。

 

荘園整理というと古代律令制への復帰を目指す動きとばかりとらえていた(だから荘園整理の意義がよくわからなかった)が、むしろ中世の荘園公領制における国司の地位の強化という意義があったのだということをようやく理解した。古代への復古を装った中世化だったのだ。

 

そして院の権威を借りた受領たちは院への「受領の功」を収めることは熱心だったが(ということは国司が領家で院が本家というような関係にもとれる)寺社への納入は滞り、そのために寺社による荘園開発が進んだというのもなるほどと思った。

 

院、特に白河院がその莫大な富を寺院の建築や仏像の造立につぎ込んだためにバブル状態になり、富の流通は蕩尽という出口を得てなお活発になった、という話もすごいと思った。日本企業がメセナと称しすごい値段で絵画を買っていた時代を思い出す。「院政バブル」はどのように続き、どのように崩壊したのか、かなり興味がわいた。

 

「歴史を楽しむ力」があるとこういう本は面白い。自分が日本的伝統の上に生きているからなんだろうと改めて思う。