史読む月日―ふみよむつきひ―

歴史のこと、歴史に関わる現代のことなど。

小林よしのりの時代(その1)

小林よしのりの時代(その1)】

あけましておめでとうございます。今年も『史読む月日』をよろしくお願いします。

今回は現代の思想的傾向に大きな影響を与えた小林よしのりさんのことについて書いて行きたいと思います。少し長くなりましたので、何回かに分けて掲載したいと思います。

ゴーマニズム宣言〈1〉 (幻冬舎文庫)

私が『ゴーマニズム宣言』に興味を持ったのはたまたま何かの週刊誌で読んだオウム事件に関する読み切りだったから、地下鉄サリン事件直後の1995年のことだったと思う。

当時小林さんの『ゴーマニズム宣言』は8巻くらいまで出ているときで、1巻を読んだら2巻、2巻を読んだら3巻とどんどん読んで行き、あっという間に全部読んでしまって、なんて面白いんだと感動したのを思い出す。

その当時、小林さんはオウム真理教による暗殺未遂事件などをきっかけに『SPA!』を飛び出し、連載を『SAPIO』に移した頃だった。

私が小林さんに関心を持ったのは小林さんのマンガというよりは、小林さんの考え方や思想や行動や表現に対してであったから、純粋にコンテンツとしてのマンガとして読んでいたとは言えない。だから「マンガを読むこと」そのものに純粋には当てはまらない、ある種特殊な位置のマンガ家なので、自分にとってはマンガを読むこととは別の範疇に「小林よしのりを読むこと」があるという感じになっている。

自分の中にある政治や思想に対するもやもやしたものが小林さんの作品によって引っ張り出され、そういうものに対する自分の考えが急にはっきりしてきた。いや、むしろはっきりし過ぎたと言うべきなのかもしれない。

いま考えても私はそういう正義とか思想的正しさにそんなに関心があるわけではない。ただ、もやもやしたものがはっきりしてきたその驚きの中で、自分もそうした正義や思想的な正しさのようなものを獲得した気持ちになっていたので、相当強い影響を受けたとは言えるのだと思う。

その後オウム真理教は次々に起訴されていき、小林さんは部落差別についてのスペシャル本『差別論』を出し、薬害エイズ問題に主体的に取り組んで、その運動はついに菅直人厚生大臣の国からの謝罪を引き出した。しかしその運動の中で小林さんは大いなる幻滅を感じ、『脱正義論』を書くことになる。

新ゴーマニズム宣言スペシャル脱正義論

社会運動が永久運動になり、それに関わった若者たちの自我が必要以上に肥大し、日常の自分たちの仕事でなく、いつまでも運動に関わっていたいという地に足のつかない状態になることを小林さんは非常に危惧した。そしてそれに警鐘を鳴らした途端、運動家たちは手のひらを返したように小林さんに近づかなくなった。それは私もいろいろな場所で似たような場面を見ているからそうだろうなあと思わざるを得なかった。

その幻滅が『脱正義論』には非常に現れているのだけど、その挫折があってこそ、そのあとの小林さんの目を見張るような戦後的歴史観への破壊的な批判を為し得たのだろうと思う。

(その2)に続きます。