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史読む月日―ふみよむつきひ―

歴史のこと、歴史に関わる現代のことなど。

『歴史と地理』(山川出版社)第680号(日本史の研究247)で「山丹・山丹交易について」を読んだ。

『歴史と地理』(山川出版社)第680号(日本史の研究247)で「山丹・山丹交易について」を読んだ。

これは「賢問愚問 解説コーナー」というシリーズで、「山丹交易の担い手は、どこに住むどんな民族なのでしょうか。また交易の実態を具体的に教えて下さい」という質問に答えたものだ。

これは、江戸時代中期から末期にかけて、北海道・樺太沿海州北部・アムール川黒龍江)下流域に及ぶ広大な地域を舞台にして行われた多くの民族を介しての交易の実態についての解説で、大変興味深かった。

まず、民族の配置として、北海道から千島南部(択捉島まで)が北海道アイヌの居住域、樺太南部が樺太アイヌの居住域、中部がウィルタ、北部から間宮海峡を渡ってアムール川北岸地域がニヴフの、そしてアムール川下流域から清朝の出先機関がおかれたデレンまでがウリチの居住域だ、ということが示される。

ウィルタとは日本ではオロッコと呼ばれた民族であり、ニヴフとはギリヤークと呼ばれた民族だ。ウリチと言う民族は初めて聞いたのだけど、山丹人と呼ばれるのは基本的にこのウリチのことを指しているのだと言う。ウィルタとともにツングース系の民族(言語)に分類されている。ニヴフ語は独自性の強い言語で、アイヌ語もまた孤立した言語とされている。

これらの地域は、大陸側は間宮海峡に至るまで17世紀末のネルチンスク条約以来清朝の支配が及んでいる地域であり、樺太には「北蝦夷地」として日本の松前藩・幕府の支配も及びつつあった。

ここで行われていた交易は、主にアイヌと山丹人の間で行われたもので、アイヌ側からはテンやカワウソ、狐の毛皮(日本では小皮類と呼ばれた)や日本本土から渡った鉄鍋や小刀などの和製品が持ち込まれ、山丹側からはいわゆる「蝦夷錦」がアイヌ側に持ち込まれた。これは実は清朝の官職に応じた絹織物の官服のことで、アイヌ松前藩を介して日本社会でも一般に流布し、珍重された。

それが貴重だった理由のひとつは、当時の日本が清朝とは国交を結ばず、「朝貢」を行っていなかったため、貿易の窓口である長崎からそれらのものが入ってくることはなかったからだ。鎖国日本の「四つの口」のうち長崎(対オランダ・中国)と対馬(対朝鮮王朝)からは入って来なかったことはなかったということになる。しかし、薩摩藩支配下の琉球王国は清に朝貢していたためため、冊封時には琉球王に下賜されていたわけだ。しかしそれが薩摩藩経由で日本社会に流布することはなく、(薩摩藩が独占したのか、あるいは興味がなかったのか)四つ目の口である蝦夷地を介して日本社会に入って来るものだったというのが興味深い。

サハリンアイヌはこのようなダイナミックな北方における国際交易の中心になっていたのだが、18世紀末以降山丹人との交易で負債が恒常化し、人身を拘束されたり連行されたりするものが続出したのだと言う。それが最上徳内サハリンにおける調査で判明し、幕府が対応することになったのだと言う。すでに18世紀末という時点において幕府が樺太アイヌの債務問題にまで対応しようとしていたというのはある種の驚きだと思った。

幕府は樺太南部を含む蝦夷地=松前藩の領地を上知し、そこに松田伝十郎と間宮林蔵を派遣して、その結果間宮海峡の踏破とデレン訪問があったのだという。

そしてへえっと思ったのは、1790年までは山丹交易の拠点はソウヤ(稚内か)にあったのが樺太西南端のシラヌシにうつし、樺太アイヌの負債を1812年までに幕府の公金によって清算して、以後幕府が直接山丹交易に当たることとなって、樺太アイヌが交易に関与することはなくなった、ということだ。1853年の記録によると4艘の舟で66人の山丹人が来航し、青玉・鷲羽・「蝦夷錦」その他が持ち込まれ、日本側からの毛皮や鍋、ヤスリなどと交換されたのだと言う。

その結果、日本側は毛皮を調達する必要が生じたわけだ。もともと樺太アイヌが負債を抱えることになったのは、毛皮が十分調達出来なかったことによるそうで、幕府主導で行われたその調達は、北海道・南千島樺太全域の場所請負人(各地で交易権を請け負っていた商人)、果ては北前船の派遣元である加賀や能登の問屋商人にも割り当てられたのだそうだ。

つまり、山丹交易というのは清朝側の辺民政策(支配下に追いた諸民族に官職や官服を下賜する)と幕府の蝦夷地政策によって機能していたものだ、というのが興味深い。最後の交易は1867年、つまり大政奉還の年に行われたと言うからまさに江戸時代とともに終わったわけだ。またアムール川下流域や沿海州も1858・1860年の天津・北京両条約(第二次アヘン戦争講和条約)によりロシアの支配下にうつり、それによって樺太にもロシアの影響力が強く及んだために、結局1875年の樺太千島交換条約で日本は樺太の支配権を放棄することになった。こういう状況の中では山丹交易といったより前近代的な交易は成立し得なくなって行ったということなのだと言う。

これらのテーマは時折取り上げられることはあるけれども、ここまで整理された形で読んだのは初めてだったので、非常に面白かった。

『嫌われる勇気』を読んでいる。「自己啓発の源流」アドラー心理学のわかりやすい解説。

嫌われる勇気

 

アドラー心理学をわかりやすく解説した本、岸見一郎・古賀史健『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』(ダイヤモンド社、2013)読んでる。題名と違い、内容はそう古い感じのものではない。まだ読んでいる途中なので全体的な感想は書けないのだけど、アドラー心理学の構造というものが少しずつ着実に理解出来るように工夫されて書かれている。「自己啓発の源流」という言い方はなるほどなあと思うけれども、いわゆる自己啓発本というのは結構論理が荒っぽく、そのときはそういうものかと思ったり納得した気になったりしても、しばらくすると忘れてしまったり、人に説明しようとして「あれ?なんだっけ?」となったりすることが多い。この本は、同じような論点に何度も回帰して生まれいずる疑問を丁寧に片付けて行く感じがある。自己啓発花盛り、かつ自己啓発に挫折した人がわんさか溢れている、だからこそさらに自己啓発本が求められているという倒錯した状況の中で、ある種理解の切り札になるような本ではないかと言う気がする。まだ読み終わってないのでそこまで期待していいのかどうかは断言出来ないのだけど。

前回の更新で触れた『新・戦争論』、それぞれの地域に対する池上彰さん、佐藤優さんの見解について感想を書こうと思っていたのだけど、考えているうちに気が進まなくなってきた。いずれにしても佐藤さんの見解の表明には何か意図がある感じがあり、その意図がなんなのかがよく見えないので、それがよくわからないまま孫引きして感想を書いても、なんだかその意図に乗せられているんじゃないかと言う気がしてしまうので、どうも気が進まないのだ。

おのおのの問題に対する私の理解に対するアンチテーゼとして面白いとは思うのだけど、どうにも何か引っかかる感じが否定出来ないので、書くとしてももう少し見極めてから書いてみたいと思う。

 

『新・戦争論』における池上彰さんと佐藤優さんの絶妙のマッチング(感想その一)

新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方 (文春新書)

池上彰さん、佐藤優さんの『新・戦争論』(文春新書、2014)を読んでいる。久しぶりにブログを書きたくなったので書いてみることにした。

もうだいぶ前になるが、ネット上でウェブ日記⇒ブログという流れでずっと書いていた頃、政治的な動きに関してもいろいろ書いていたのだけど、ウェブ上での議論があまり生産的でなく、ブログでは「そういうこと」について書かないというルールを自分に作って、「そういうこと」はときどきツイッターなどで単発的に書くだけ、ということにしていた。

昨年の暮れからは新たにマンガの感想を書くブログをはじめ、そちらの方が忙しくなってしまい、また身辺雑記的なことや本の感想を書くことにあまり意味を見いだせなくなってきただけでなく、アクセス数においてもマンガブログとは圧倒的に差があるようになってきて、どちらの面からもブログを書くのに積極的な意味が見出せなくなって、要するに「書けない」感じになっていた。

その間、実際のところ本を読んでも面白く感じなくなっていて、買いはしても最後まで読めない、ということがかなり長く続いていた。最後まで読んでも感想を書いたりする気にもならない、という感じが長く続いたのだ。

それは自分の意識の中で、「自分の意識のありかたの問題」とか「フィクションへの志向」が強くなっていて、世界情勢や歴史の分野、つまり「事実」の分野に対する意識に対し、すごく否定的になっているところがあったのだなと思う。

しかし、たまたま買ったこの『新・戦争論』を読んで、そう言えば以前私はむしろ「事実」には関心を持てるけれどもフィクションは面白いと感じない、という時期があったことを思い出した。その頃はマンガは読んでいても80年代ニューウェーブの流れを汲む諸星大二郎さんや近藤ようこさんなどに限られていて、新しい作品に目を向けていなかったのだった。

どうしてこういう極端な志向の展開が起こるのか、そのあたり自分の中が謎なのだけど、そのバランスの落ち着きどころが少しは見えてきたのかもしれないと思う。

もともと私は何でも面白がるタイプなのだけど、一般性の強いものが基本的には好きだし、自分の志向に関しても、文章に関しても、実際には大衆的というのも変だが、少なくとも特殊な嗜好の強さというよりは「論理に基づいた一般性」のようなものが自分の基本にあるように思う。その論理そのものは、自分の身体性のようなものに依拠しているところが大きいので必ずしも「常識的」なものではないのだけど、だからと言って理解を拒絶したような特殊なものではない。

「専門性」というものを細かい分野に限り、まだ未開拓の分野へと突き詰めて行ってしまうと「特殊性」の強いものになって、一般性からかけ離れた痩せたものになるか、その特殊性にたてこもる心性に囚われてしまうことがあるわけだけど、私は結局そういうことはできなくて、どこかで定期的に一般性に戻って来る、「揺り戻す」ところがあるのだろうなあと思った。その周期は実はけっこう長くて、ある分野に何年も沈潜しているうちに時代が変わってしまうという感じになっていて、その沈潜、没入によってもともと自分自身が持っている一般性=時代性の感覚が弱くなってしまうところがあるんだなあと思った。

今はだから「フィクションの世界への没入」から「事実の世界の再発見」の過程にあるのだなと思う。それは「再発見」であって「回帰」では多分ない。「どちらかだけ」というのは、やはり自分には不自然な状態だと今は思うのだ。そういうふうにして自分の中の全体性を回復しながら、自分の今やるべき仕事を見つけていきたいと今は思っている。

さて、前置きが長くなった。

この『新・戦争論』という本の面白さは、池上彰佐藤優という二人の著者=対談相手の「ミスマッチ」感にある、と言っていいだろう。池上彰さんは元NHKのアナウンサー・解説者で、複雑な政治・社会現象を子どもにもわかる平易な言葉で説明するという、現代においてはとても求められる能力でありながら今までは軽く見られがちだった仕事を、率直で鮮やかな手さばきで切り分けて世間を瞠目させることによって、この仕事の意義を世間に広く知らしめた、そういう意味で「よくわからないもの=偉いもの、最先端、高度」という権威主義の足元を掬う反権威主義的な存在でありながら、あまりに一般への通路を失った専門家たちからも歓迎されている、独特な地位を築いている人だと言えると思う。

一方の佐藤優さんはもともとロシアを専門とするノンキャリアの外交官で、小泉内閣時代の内閣と外務省の暗闘の中で弾き飛ばされた、異端のインテリジェント・オフィサーという感がある。「外務省のラスプーチン」という言葉ももう言い古されているけれども、私も「国家の罠」から始まる初期の佐藤さんの著作はかなり読んだ。しかし佐藤さんはなかなか個性の、違う言い方をしたら「あくの強い」人で、小林よしのりさんが暴露した「SAPIO」連載中の出来事とか、佐藤さんを特集した「AERA」に対し佐藤さんが強い不満を述べていた話などを読んで、そのあたりからその強い個性の発する影響力をあまり受けない方がいいと思うようになり、あまり読まなくなった、という経過がある。

実際のところ、佐藤さんの提示する情報というものはあまりにいわゆる「ディープ」なものが多く、「裏」を取るのは困難だったりするものが多いから、実際のところその情報が正確なのかどうかも自分としては確信が持てない、というものが多く、そのあたりからも敬遠したくなるところがあった。

この本の裏表紙側の帯には池上さんの「どうしてこの二人が?と思うでしょうが、私は佐藤さんの著作を愛読しています。ディープな情報が素晴らしい」という言葉があり、つまりはある意味佐藤さんの発言を池上さんが否定せず、受け入れている記述によって、佐藤さんの情報がオーソライズされている、という感があるなと思った。

実際、佐藤さんの情報の裏をネットでわかる範囲だけでも取ろうと思って検索してみると、そのネットの情報の情報元が佐藤さんの著作であることが多く、本当にディープな情報を開示しているんだなと思う。

もともと大学の文系の専門家というものは、一般人より遥かに欧米の情報に容易にアクセスできることによって、欧米の最新情報を紹介する「紹介屋」みたいな側面があったわけだが、ネットが情報の壁をかなり取り払った現代では、英語(をはじめとする欧米語)さえできれば専門家も敵わないような情報を取って来ることが比較的容易になっているわけで、文系専門家の「紹介屋」としての機能に対する評価はかなり下がってしまった。しかし佐藤さんのような本当にコアな、ディープな情報はやはり限られた人にしか取れないわけで、その「究極の紹介屋」みたいな部分が、佐藤さんの圧倒的な強みを形作っている面があると思う。

しかしインテリジェントの世界にはその世界の仁義というものがあるから、出てくる情報にもやはりそうした「癖」のようなものがあり、そのあたりの吟味が難しい、という難点はあるようには思う。

まあだから、そういう癖のある佐藤さんの情報を池上さんの凄みのある解説力によって吟味しオーソライズし構築することによって一つの世界理解を組み立てる、ということが出来ていれば、この本は成功だということが出来るのだと思う。

さて、具体的な内容に行く前にかなり長くなってしまったので、個々の内容に関する感想はまた次回以降に書こうと思う。

章建ては序章プラス8章の構成で、日本の特殊性、世界の危険、世界理解における民族と宗教の重要性、ヨーロッパ世界の後ろ暗い部分、イスラム国とイスラムイスラエルの問題、朝鮮問題、中国を巡る尖閣問題とウィグル問題、アメリカの問題、情報の取り方の問題、という形で取り上げられている。まだ読み切ってないけれどもそれぞれ面白いところが多いので、何回かに分けて書いて行きたいと思う。

ネルケ無方さんの『日本人に「宗教」はいらない』(ベスト新書、2014)を読んだ。日本人の精神と実践の関係について、目から鱗だった。

日本人に「宗教」は要らない (ベスト新書)

 

ネルケ無方さんの『日本人に「宗教」はいらない』(ベスト新書、2014)を読んだ。

著者は、ドイツ・ベルリンの出身でドイツ人の禅僧。1968年生まれだから、ベルリンの壁の中で育ったということになる。祖父がプロテスタントの牧師という環境で育ち、母を7歳のときに失ったという。16歳で禅に出会い、生きるのが苦しくて仕方なかったのが、「一切は苦である」と言うブッダの教えに出会い、苦しくてもいいんだ、それが生なんだと救われたのだという。また、座禅を組んで姿勢を意識したことで、初めて「生きている」と言う実感を得たのだという。

正直、そんなに期待しないで読み始めたのだけど、すごく面白かったし参考になった。ドイツからやってきて日本の精神生活の中枢に入り込んでいる人から見える、日本人の今の心のあり方を語ってもらうと言うのは斬新な感じ。日本人の書いたそう言うものを読んでいても、どうしても「そうだよね、そうだよね」になってそのうち「それは知ってるよ」になり、「読んでも仕方ないや」になってしまうのだけど、この本には「そうだったのか!」と初めて気がつくようなことが多い。

仏像や寺社建築には魅かれない、つぶれてしまったらつぶれてしまったでいい、と言う感覚は日本人的ではないけれども、本質に魅かれるところがヨーロッパ人的なんだろうなと思う。仏像や建築の「息をしている感じ」が懐かしいしいい、と言う感覚はないんだなとは思った。

一番印象に残ったのは、世界的に一番受け入れられている仏教は、スリランカ仏教(上座部テーラワーダ仏教)でもチベット仏教密教)でもなく、日本仏教(特に禅宗)ではないかと言う指摘。スリランカ仏教はキリスト教と同様に他の宗教を受け付けないところがあり、また原理主義的で2000年間不変で現代にそぐわないと感じたし、チベット仏教は魔術や呪術のようなものが多く、「私には子供だましにしか感じられなかった」というばっさりな斬り捨て方が目から鱗だった。

日本仏教は非常にオープンであるところが魅力的で、禅はドグマとしてなんでもあり、こだわりのないところがいい、というところと、「実践の大切さを説いている」ところがいい、という指摘も目から鱗だった。

ドイツにいた頃はからだは脳を動かすための道具に過ぎない、と思っていたのだそうだ。しかし実際に座禅を組んでみて、最初は「自分が座っている」と脳で認識していたに過ぎなかったのがからだごと自分であることに気づかされ、また周囲の世界とのつながりにも気づかされて、姿勢を変えるだけでこれだけ認識が変わるのかと強い衝撃を受けたのだそうだ。

それから、これも目から鱗だったのが、学校での宗教的実践について。ドイツでは14歳になったときに大人の仲間入りをすることになり、このときに自分で宗教を選択し直せるのだと言う。プロテスタントで洗礼を受けていても、14歳で例えばカトリックを選択することも出来るし、無宗教を選択することも出来るし、そのままプロテスタントでいることも出来る。無宗教を選択するということは、「神はいない」と信じるということで、日本人的な適当な無宗教なのではなく、無宗教という信念、宗教みたいなものなのだと言う。

そして、その選択した宗派の宗教教育を学校でも受けるのだという。無宗教を選択したら哲学の授業を受けることになる。

ドイツではキリスト教を選択したらいずれかの教会に所属し、所得税の8%ほどの教会税を所得税と同時に徴収されるのだそうだ。そしてその教会税が各教会に分配されるため、教会の牧師や神父は公務員のようなもので、失業の危険はないのだそうだ。これはビスマルクの文化闘争によって教会財産が国家に没収されたからだそうで、それ以来の権利なのだそうだ。だから、キリスト教徒はもし年間50万の所得税を払うとしたら4万の教会税も払うことになり、それを20年払えば80万になるわけだから、日本で葬式のときに戒名料としてそのくらいのお金を支払うことになるのはそんなに高いわけではない、という話もちょっと面白かった。最もネルケ氏本人は戒名料でお金を取ったことはないし、葬式で経を読んだことも1度しかないということだが。

そんなふうに、ドイツでは宗教が体制に組み込まれて、個人の問題というよりは社会の仕組みの中で学校教育にも深く根付いているのだが、日本ではもちろん、宗教的なことが学校で教えられることはないわけだ。

しかし、と彼はいう。ドイツでは授業の上での宗教教育はあるけれども、実践はないと。

つまりどういうことかと言うと、日本の学校で教室を掃除したり、給食当番をしたり、部活動で協調性を教えたりすること自体が、意識せざる宗教教育だ、というのだ。

私などは、こういう実践の淵源は軍隊での共同生活にある、という意識があって、あんまり好きではない気持ちがあったのだけど、いわれてみたらそれはもともと、禅寺での雲水たちの共同生活に起源がある、という考え方は確かに成り立つのだ。

掃除も、当番を決めて一斉にやることで自分だけが、という意識がなくなるわけだし、「いただきます」と言って一斉に同じものを食べる、というのもいわば禅寺の風景だ。そのように行動することで実践や日常生活の大切さを理解し、「からだから心を育てていく」ということが可能になるというのは大変目から鱗だった。

最も、我々より年配の世代に取ってはそんなことは当たり前のことで、だから説明もちゃんとして来なかったのだろうけど、でもそういう風にいわれてみれば、こういう教育の大切さも良くわかる。しかし、その大切さは教員や親自体にもうすでに理解されなくなっているから、だから日本的な教育は崩壊してきている、ということなんだろうなとも思った。

変に国際化を目指すより、そういう面から学校教育を建て直した方が早いのではないか、という気がした。

その他葬式仏教の批判とか、いろいろ面白いことが書いてある。日常から自分という人間を建て直すとか、思想と実践の関係ということについて考える上で、この本はすごく参考になるのではないかと思った。

最近、面白いと思う本がほとんど読めてなかったのだけど、少しずつ出会うようになってきた。今まで見えてなかったところを探すと、そういう本があるのかもしれない、と思う。

「アメリカのめっちゃスゴい女性たち」読了。

アメリカのめっちゃスゴい女性たち

町山智浩『アメリカのめっちゃスゴい女性たち』(マガジンハウス、2014)読了。

 

かなり長い期間かけて読んだので前の方は忘れているのだけど、日本では知られていないがアメリカではよく知られている55人の女性を取り上げて一人当たり3ページで論じているのだけど、それぞれの人生がスゴいスゴい。

 

障害を持つ人も多いしレズビアンも多い、離婚経験者も多いし夫の浮気を経験している人も多い。薬物中毒者の家庭で育った人、刑務所に入った経験を持つ人。そのすべてが前向きに人生を切り開いて生きていて、全米に名前を知られる存在になっているというのがそういう意味でとてもアメリカらしい。

 

今日読んだラストの3人は、メアリー・パーラ、アントワネット・タフ、リジー・ベラスケスの3人。

 

パーラは白人女性で現在GM(ジェネラル・モーターズ)のCEOを務めているが、倒産した世界最大の自動車会社・GMを立て直した人。彼女はGMの組立工を親に持ち、GMが作った工業大学を出て30年以上GMで働き、技術者から叩き上げで経営トップに立った、近頃では珍しい人物なのだそうだ。パーカーはCEOになるとトヨタやベンツに対抗する新型車種を次々と開発し、奇蹟の復活を実現したわけだ。アメリカにもそういう「叩き上げ」ということがあるのだなと、そこには「終身雇用の良さ」「企業ファミリー出身」と言うわりと非アメリカ的な要素があるところが面白いと思った。そして作れば売れる殿様商売を脱し、ライバルに対抗出来る車種を作り出したところも日本企業の商売に似ている。これはかなり興味深い人物であり展開であると思う。

 

二人め、アントワネット・タフは黒人女性で小学校の帳簿係。ところがこの人は2014年のオバマ大統領の一般教書演説に招待されている。彼女は学校に侵入して乱射しようとした犯人を説得し、800人の児童の命を救った人物なのだ。20歳で双極性障害に苦しんでいた犯人は、精神病院に入るよりは死んだ方がましだと思い詰め、ソ連製の軍用ライフルAK47を手に学校に侵入したのだった。そんな彼に銃口を向けられたまま彼女は「ベイビー、どうしてこんなことするの?」と尋ね、自分も自殺しようとしたことがある、と言った。彼女の人生は逆境そのもの。継母や連れ子からいじめられ、実母の介護のため高校を中退し、結婚しても生まれた長男は重い障害を持っていて、夫に浮気を告白されたのがとどめを刺した。でも重い障害を持つ息子がいるから死ぬわけにはいかない、あなたも病院で治療してもらえば何とかなる、と語るタフに、犯人がでももう自分は警官を撃ってしまった、と答えると、警官が撃たないように私がついて行くわ、と答え、最虐殺は食い止められたのだと言う。彼女のFacebookを見ると彼女は”Prepred for a Purpose”という著書を書いている。

 

そして55人めのリジー・ベラスケス。名前からするとヒスパニックだろう。彼女は生まれつきからだに脂肪や筋肉をつけられない病気で、一日5000キロカロリー食べないと死んでしまうのだそうだ。それでも体重は30キロしかない。高校時代に彼女は彼女を勝手に撮った8秒間の映像がYouTubeに「世界一醜い女」と題してアップされたのだと言う。これはネットいじめ、英語ではサイバー・ブリーというのだそうだが、彼女は泣き暮らしたが、「私の人生は私が決める」と思い、四つの目標を立てたのだと言う。「モチベーショナル・スピーカーになって人々に希望と勇気を与えること。本を出版すること。大学を卒業すること。仕事で自立して家庭を持つこと。」

 

モチベーショナル・スピーカーという言葉は初めて聞いたが、少し調べると成功を重んじるアメリカでは知られた職業なのだと言う。モチベーショナル・スピーカーのためのエージェントもあり、彼女は決意して直ぐ、高校時代から7年間で200を越える講演をこなしたのだと言う。2010年に著書を出し、翌年には大学を卒業し、あとは家庭を持つだけというところまで来ている25歳だ。

 

モチベーショナル・スピーカーという言葉で検索してみると、いわゆる成功本の著者・講演者というのは結局このジャンルに入るということなのだなと思う。「金持ち父さん」のロバート・キヨサキに関してもそう書いている人がいた。最もキヨサキは2012年に倒産しているとのことだが。

 

ベラスケスは講演で「私はいくら食べても太らないの。うらやましいでしょ?」と言って笑いを取るそうだけど、そうやってタフに振る舞うことがアメリカでは求められるんだなと思う。そうやってタフに振る舞っているうちに本当にタフになる人もいるのかもしれないが、キツいことはキツいだろうなと思ったりはする。

 

まあこんな調子でスゴい女性が紹介されていて、アメリカの縮図のような感じだ。男性にも女性にも薦めたい一冊だ。

アレクサンドロスはいつから「大王」か?

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『歴史と地理』(山川出版社)第644号(2011年5月号)の山中由里子アレクサンドロスは『大王』か?」を読んだ。

明治以来、日本ではマケドニアの王にしてギリシャからオリエント世界を征服したアレクサンドロス3世を「アレクサンダー大王」と呼ぶことが定着している。ギリシャ語読みをすればアレクサンドロス大王である。

これは欧米からの情報に基づくもの(英語のAlexander the Greatなど)だと考えられるが、中国では清以降たとえば「歴山王」と呼ばれていたと言い、江戸後期の大槻磐渓漢詩にも出て来るのだという。

この『大王』の呼称はどこまでさかのぼるのか、あるいはアレクサンドロス自身が「大王」と称していたのか、というのがこの論考の中心になるわけだが、結論から言うと本人が「大王」と称していた確たる証拠はないのだという。

当時「大王」という呼称自体が存在しなかったわけではなく、アケメネス朝ペルシャでは「偉大なる王」という呼称をキュロス2世が自称しており、それをギリシャ語訳したmegas basileusという呼び名は、「東方専制君主」という意味合いで、むしろマイナスの語感で用いられていたのだという。

であるから、アレクサンドロスを「大王」と称するのはアレクサンドロスペルシャ化を批判したイソクラテスらから始まっているという説もあるのだと言うが、それも確証はないようだ。

ヘレニズム世界の君主が大王を自称するようになったのはセレウコス朝シリアのアンティオコス3世(241B.C.-187B.C.)以来だという。また現存する文献で最初に「アレクサンドロス大王」の言葉が出て来るのもその同時代なのだそうだ。

よって紀元前2世紀初頭ごろがその起源だと考えられているのだそうだ。アレクサンドロス死後150年弱経過してから、ということになるのだろう。

またそれに関連し、ササン朝ペルシャではアレクサンドロスは悪魔の化身のように憎しみをこめた形容詞付きで呼ばれていたというのは初めて知ったし、一方イスラム世界ではコーランに登場する「二本角」と同一視されて、世界の果てまで突き進む布教者・野蛮な民族の侵攻を防ぐ守護者として語られているということも初めて知った。

「大王」という呼称がアイロニカルに受け取られている例もあるというのは面白いなあと思ったが、「大」という部分がその権力の強さだけでなく専制性をも象徴するというのはなるほどと思ったのだった。

ビアトリクス・ポターの伝記映画『ミス・ポター』を観た。20世紀初頭のイギリス社会と人生をどう生きるか。

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ビアトリクス・ポターの伝記映画『ミス・ポター』を観た。

この作品は2006年に公開された映画で、「ピーターラビット」シリーズの著者であり、湖水地方のナショナルトラスト運動の祖としても有名なビアトリクス・ポターを演じた主演のレニー・ゼルウィガーのコケトリのある演技が印象的だった。

この映画は、一言で言えば「愛する人を失った才能ある女性が再び生に向かって歩き出すまでの、死と再生の物語」ということになるのだと思う。

映画の舞台は1902年から始まる。1902年という年は日露戦争直前、日英同盟が結ばれた年だが、イギリス史の上から見るとヴィクトリア女王が前年に死去してエドワード7世が即位したばかりの時期だった。日本ではヴィクトリア時代のみが有名だが、重く古典的な、禁欲的な文化だったヴィクトリア時代に比べ、エドワード朝時代は短いものの明るく開放された雰囲気の、「古き良き時代」として思い出される時代だったのだという。そんな気分がこの映画にも表れていて、古い時代の道徳や人間の生き方に対するビアトリクスの両親たちのヴィクトリア朝的な考え方との対比がこの映画の一つの重要なモチーフになっているように思う。

ビアトリクスはいくつもの出版社に出版を依頼したがなかなか引き受けてくれるところがなかったのだけれども、ようやくウォーン社が出版を引き受けた。経験のなかった末弟のノーマン・ウォーンが引き受けたことによって、当時としては常識外れだった女性著者として印刷所に訪れるなどまでして満足のいく書籍に仕上げるなどの努力をした結果、彼女の著書『ピーターラビットのお話』はベストセラーになった。

以降も彼女の本の出版を続けるうち、ノーマンとビアトリクスは愛しあうようになるが、ビアトリクスの両親は結婚を許さない。苦慮した父親は、3か月の夏の保養期間が過ぎても気持ちが変わらなければ結婚してもよい、という妥協案を示す。ビアトリクスはそれを受け入れたのだが、その期間中にノーマンは病を得て亡くなってしまった。

生きる気力を失い、ロンドンの自邸の自室に籠るビアトリクスだったが、ノーマンの姉でビアトリクスの親友のミリーの励ましにより生きる力を取り戻し、湖水地方の農場を買って自活を始める。

そして開発業者に農場が蚕食されている現状を知ったビアトリクスは自ら農場を買い上げ、今まで通りに農民に暮らしてもらえるようにして、自然環境を守っていくという道を開いた。

役者として私が好きだったのは主演のビアトリクスを演じたレニー・ゼルウィガーなのだが、あとはウォーン社のノーマンの二人の兄が、イギリスっぽいというか、なんというかカフカの『変身』に出てくる三人の紳士のイメージを思い出して、可笑しかった。

風景的には、ロンドンの街中や屋敷の中のビアトリクスの部屋のイメージと、湖水地方の農場に引っ越した後の室内の素朴な家具、そして何より美しい風景との対比、また両親のヴィクトリア時代的な人生観とビアトリクスたち「新しい時代」の人生観の対比、生き生きと絵本を書き続けているときと恋人の死を知っての身も世もない落ち込み、また湖水地方に移転してからの生き生きとした生活の対比など、さまざまなところに印象が残った。

映画としては、イギリス的なユーモアを感じさせる部分と、アメリカ的なお約束的な無理やり感が感じられる部分があったのだけど、監督がオーストラリア出身で、制作会社がアメリカで、エグゼクティブ・プロデューサーがビアトリクスを演じたレニー・ゼルウィガー自身だということで、純粋なイギリス映画でもアメリカ映画でもなく、そのあたりからちょっとミクストされた感じになったのだろう。

この映画を見ながら、人はどういうドラマを生きるか自分で選択する部分と与えられる部分があるのだなあと思った。

ビアトリクスは才能のある女性で、でも男社会で正当に評価されない。そこにひょんなことから現れた編集・出版者ノーマンの出現により、望外の成功を収める。ノーマンの死はビアトリクスをロンドンから連れ出し、湖水地方の新しい生活の中でそこでの問題を見つけ、その解決のために果敢に取り組んでいくうちに、弁護士の新しい伴侶を得る。Wikipediaによるとノーマンがなくなったのは1905年(35歳)、弁護士・ウィリアム・ヒーリスと結婚したのは47歳とのことだが、ほぼ彼女の30代の話ということだろう。この映画の時点でレニー・ゼルウィガーは37歳だから、まさにその中心の時期になるということだろう。

ビアトリクスは「人と違っても自分の望みを果たすことを求めて生きる」というドラマを選んだわけだけど、図らずも「愛する人を失った才能ある女性の死と再生の物語」というドラマと、「成功した高名な財産ある女性」というドラマをも生きることになった。そしてそこにとどまることなく、さらに「自然と景観を守る」という人生をも生きたわけだから、すごい人であることは間違いない。

こうしたドラマ映画というものは、自分と同じような境遇を持つ人に対して共感しながら見ることもできるし、またそのドラマの向こうに多くの同じような境遇を持ちながら頑張っている人たちを見ることもできる。

どんなふうに行きたいか、どんな人生を選びたいのか、というのは、「自分がどんなドラマを生きるのか」という決意から始まるのだなと思う。

その先にどんなドラマが与えられるかはわからないが、生きるということは常に自分がどんな人間であるのかということを明確にすることが求められてくる。

ビアトリクス・ポターの人生は一つの明確なビジョンに基づき、運命の試練に耐えながら、自分が選んだドラマを生き抜いていった、稀に見る優れた、素晴らしい女性の人生だったということができるだろう。

どんなときにも、自分はどのようなドラマを生きるつもりなのか、そのビジョンを明確にしていなければならない。

この映画のことを思い出しながら、そんなことを思ったのだった。